惜別100系新幹線



ここでは、2012年3月17日のダイヤ改正で、惜しまれつつも姿を消した、100系新幹線の画像などを掲載します。


岡山行きの「こだま」号が入ってきました。
2008年8月25日撮影 山陽新幹線・岡山駅付近




2本の岡山行きの100系「こだま」号が並びました。
2008年8月25日撮影 山陽新幹線・岡山駅




0系と100系が仲良く並びました。
2008年9月2日撮影 山陽新幹線・岡山駅




6両編成の100系が吉井川の鉄橋を渡りました。
2008年9月24日撮影 山陽新幹線・相生〜岡山




2008年10月2日撮影 山陽新幹線・相生〜岡山



2009年6月11日撮影 山陽新幹線・相生〜岡山


ここにある画像は、すべて銀塩カメラ(機種は、ミノルタα707-si)で撮影して、CDフォト化したものです。


100系新幹線電車は、1985年(昭和60年)10月、当時陳腐化が進んでいた0系新幹線に代わる車両として、試作編成が誕生しました。
登場時の編成は16両編成で、食堂車とグリーン車のうちの1両は、新幹線で初めて2階建て構造を採用したことで話題となりました。
2階建て食堂車を連結した初期の製造の編成は、X編成とされ、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化直前まで増備され、国鉄民営化後は、JR東海の所有となりました。
JR化後は、JR東海は、食堂車の増備をやめ、2階をグリーン席、1階をカフェテリアとした車両を連結したG編成が製造されました。
1989年(平成元年)には、それまで100系を所有していなかったJR西日本が、『ひかり』用にV編成を導入しました。
V編成は、JR東海のX編成やG編成と同じ16両編成でしたが、JR東海の編成とは異なり、2階建て車両が4両連結されていたのが特徴で、そのうち1両が食堂車、残りの3両は、2階がグリーン席で、1階が普通座席でした。
V編成は、グランドひかりの呼び名で知られるようになりました。
1992年(平成4年)、当時最新鋭だった300系電車の営業運転が開始される前後、100系の増備は終了しました。
その後も、しばらくの間、東海道新幹線の『ひかり』の主力車両として、活躍していましたが、0系の廃車が進むにつれて、『こだま』への転用が行われるようになりました。
また、当時最新鋭だった300系の増備が進むにつれて、『ひかり』も、徐々に同系に置き換えられていきました。
1996年(平成8年)から1997年(平成9年)にかけては、JR東海が所有していたG編成の一部がJR西日本に譲渡され、JR西日本の0系の置き換えが進みました。
その後も、しばらくは、東海道・山陽新幹線直通の『ひかり』を中心に活躍していましたが、2000年(平成12年)、JR西日本所有のV編成が、短編成化のうえ、山陽新幹線内の『こだま』への転用改造が行われるようになりました。
同時に、2階建ての食堂車やグリーン車などは、編成から外されていきました。
こうして、V編成は数を減らし、オール普通車の4両編成と6両編成が誕生しました。4両編成はP編成、6両編成はK編成と呼称されるようになりました。
いずれも、山陽新幹線内の『こだま』で使用していた0系を置き換える目的で登場しました。
2000年(平成12年)3月には、V編成使用の一部の『ひかり』に残っていた食堂車の営業が休止され、それにより、新幹線の食堂車は、すべて営業を終えました。
その後、当時編成数減少中だったV編成は、2002年(平成14年)5月には、定期営業列車での運用を終えました。その後、V編成は消滅しました。
2003年(平成15年)9月には、G編成も、東海道新幹線内では、営業運転を終え、翌年2004年(平成16年)までに、G編成は、すべて廃車になりました。
それにより、100系は、山陽新幹線『こだま』専用のP編成とK編成のみが残ることになり、名物だった2階建て車両は、東海道・山陽新幹線からは、姿を消しました。
その後も、短編成化された100系は、しばらくの間、山陽新幹線の『こだま』で、余生を送ることになりました。
P編成とK編成は、誕生してしばらくの間は、白地に青帯の塗色でしたが、2002年(平成14年)には、ライトグレーを基調にダークグレーとライトグリーンの帯を配した塗色に変更されました。
それからも、100系は、『こだま』専用車両として、活躍していました。
しかし、700系レールスター編成や短編成化改造された500系が『こだま』の運用に進出するとともに、100系の運用は縮小されていきました。
2010年(平成22年)には、K編成の一部が白に青帯の従来塗装に戻されました。
2011年(平成23年)3月のダイヤ改正では、P編成が運用を離脱しました。
そして、その後は、K編成のみが、山陽新幹線・岡山以西のみで、『こだま』の運用に使われ続けていましたが、それも長くは続かず、徐々に運用が縮小され、2012年(平成24年)3月のダイヤ改正で、運用を終えました。
こうして、国鉄末期に誕生し、JR化後も増備されていた100系新幹線電車は、姿を消していきました。
100系の末期は、登場時の名物だった2階建て車両が見られなくなって久しくなっていました。
新幹線のイメージアップに貢献した100系には、心から感謝の意を申し上げたいと思います。



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