惜別急行つやま



ここでは、2009年3月13日限りで、惜しまれつつも姿を消した、津山線急行「つやま」の画像などを掲載いたします。



福渡〜建部 2003年4月5日撮影
春の旭川を、3両編成の急行列車が渡っていきました。





建部〜金川 2003年9月15日撮影
初秋の宇甘川を渡っていきました。





佐良山〜亀甲 2003年9月15日撮影
黄金色の田んぼの向こうを走っていきました。なお、当日は、最後尾に回送車両が連結されていました。





福渡駅 2003年9月30日撮影
急行型気動車キハ58系での運行最後の日も、いつもと変わらない姿で走っていました。
なお、車番は、岡山側から順に、キハ58-7210、キロハ28-104、キハ58-7211でした。






弓削〜神目 2004年4月20日撮影
車両が置き換わって翌年の春のある日も、山間の築堤の上を走っていきました。なお、当日は、最後尾に回送車両が連結されていました。





弓削〜神目 2005年7月17日撮影
真夏の山間部の田園地帯を、2両編成の急行列車は走っていきました。





福渡〜建部 2005年7月19日撮影
真夏の旭川を、2両編成の列車が渡っていきました。





弓削〜神目 2005年9月2日撮影
黄金色に変わりつつある山間の田園地帯を走っていきました。





岡山駅 撮影日調整中
師走のある日も、津山行きの急行列車が停車していました。





牧山〜玉柏 2006年4月30日撮影
新緑の中を、2両編成の急行列車が走り抜けていきました。





誕生時〜弓削 2006年8月5日撮影
向日葵畑の向こうを、更新工事が行なわれ、装いを新たにした車両が走っていきました。





建部〜金川 2007年4月8日撮影
春の宇甘川を2両編成の列車が渡っていきました。その日は、岡山色更新車と広島色の混色でした。





野々口〜牧山 2007年4月25日撮影
新緑の山間の築堤を、岡山目指して走っていきました。





牧山〜玉柏 2007年11月3日撮影
秋の夕日を浴びながら走っていきました。





誕生時〜弓削 2008年7月22日撮影
真夏の田園の中を、津山目指して走っていきました。





牧山〜玉柏 2008年11月1日撮影
秋の山麓を走っていきました。





神目〜福渡 2008年11月12日撮影
秋色に染まりゆく山の中を走り抜けていきました。





2008年11月24日撮影
1往復のみの「つやま」号のために、券売機でも、急行券が発行されていました。





津山駅 2008年11月24日撮影
秋の雨のある日、津山駅に無事到着しました。





津山駅 2008年11月24日撮影
側面のサボが、急行列車であることを伝えていました。





野々口〜牧山 2008年11月26日撮影
晩秋の山間の築堤を、列車は走っていきました。





弓削〜神目 2009年2月18日撮影
山麓の集落の中を、列車は走っていきました。





佐良山〜亀甲 2009年2月18日撮影
岡山行きの急行列車が、山間を走り抜けていました。





福渡〜建部 2009年2月28日撮影
残りの運転日もわずかとなったある日も、列車は、旭川の鉄橋を渡っていきました。





岡山駅 2009年3月13日撮影
運行最終日となった日も、ホームの電光表示器が、列車の存在を伝えていました。





岡山駅 2009年3月13日撮影
「つやま」号の発車時刻と停車駅を伝えていました。





岡山駅 2009年3月13日撮影
快速「ことぶき」で入線してきた車両が、折り返し「つやま」となる運用でした。





岡山駅 2009年3月13日撮影
表示幕を急行と変えました。それも、その日が最後でした。





岡山駅 2009年3月13日撮影
発車時刻がやってきました。ホームで指さし確認をしている女性が、その日の乗務車掌でした。





岡山駅 2009年3月13日撮影
最後の津山行き急行列車が発車しました。



ここにある画像は、すべて銀塩カメラ(機種は、ミノルタα707-si)で撮影して、CDフォト化したものです。


急行「つやま」は、JRが、鳥取〜岡山を津山線経由で結んでいた急行「砂丘」を廃止する際、津山市など、津山線沿線自治体からの急行列車存続の要望を受けて、1997年11月のダイヤ改正で、1往復新設されました。
運行開始当時は、「砂丘」で使われたキハ58系が転用され、グリーン車も存続しました。
また、当時は、運行区間が岡山〜智頭で、岡山〜津山が急行、津山〜智頭を快速として運行されていました。
1999年10月のダイヤ改正で、津山〜智頭の運行が廃止され、津山線内のみの運行となりました。
それからしばらく大きな動きはありませんでしたが、2003年10月のダイヤ改正で、使用車両がキハ58系から、キハ40系に置き換わりました。同時に、グリーン車は姿を消し、それによって、急行形車両のグリーン車の定期運用は、すべて終了しました。
改正以降、「つやま」は、遜色急行と呼ばれながら、しばらく残ることになりました。
また、キハ40系に置き換わったばかりの頃は、キハ48が、広島支社色のまま急行運用に就いていましたが、2006年から2007年にかけて、更新工事が行なわれ、岡山支社色に改められました。なお、キハ48が揃うまでの間や、工場入りしていた間などは、普通列車用のキハ47が代用されることもありました。
2007年7月のダイヤ改正で、広島地区の急行「みよし」が廃止されると、JR唯一の昼行急行かつ気動車急行になりました。
しかし、快速列車と大差ない所要時間で急行料金が課せられるという点から、快速への格下げ要望が高まり、2009年3月のダイヤ改正で、快速「ことぶき」に統合される形で、11年4ヶ月の活躍に幕を降ろしました。
それによって、JRの定期昼行急行、気動車急行は、すべて姿を消したほか、中国地方の急行列車は全廃となりました。



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