惜別急行きたぐに



ここでは、2012年3月17日のダイヤ改正で、惜しまれつつも、姿を消した急行「きたぐに」の画像などを掲載いたします。


秋の晴れた日の朝、淀川の鉄橋の上を走っていきました。まもなく終点です。
まもなく、終点の大阪でした。
2006年10月17日撮影 東海道本線、新大阪〜大阪





ここにある画像は、銀塩カメラ(機種は、ミノルタα707-si)で撮影して、CDフォト化したものです。


急行「きたぐに」は、1961年(昭和36年)10月のダイヤ改正で、金沢〜新潟の急行列車として、運転が開始されました。
1968年(昭和43年)10月のダイヤ改正では、改正前に「きたぐに」として運転されていた急行列車は「越後」に改称され、「きたぐに」の愛称名は、従来、「日本海」の愛称名で運転されていた、大阪〜青森の夜行急行列車に使われるようになりました。
当時は、客車列車で、座席車、寝台車、食堂車などが連結されていました。
1972年(昭和47年)11月には、北陸トンネル火災事故が発生し、それにより、食堂車の連結が中止されました。
1973年(昭和48年)には、普通座席車が、旧型客車から12系客車に置き換わりました。
その後、「きたぐに」は、しばらくの間は、旧型の10系寝台車と当時は新型だった12系座席車との併結で運転されました。
1982年(昭和57年)11月の上越新幹線開業に伴うダイヤ改正で、「きたぐに」の運転区間は、大阪〜新潟に縮小されました。それと同時に、使用された客車が14系に変更になりました。
1985年(昭和60年)3月のダイヤ改正で、使用車両が、14系客車から583系電車に置き換わりました。
それからは、若干の編成の変更や車両のリニューアル工事の施工はあったものの、一貫して、583系電車で運行されました。
1994年(平成6年)のダイヤ改正で、JR東日本の583系が定期列車の運行から撤退すると、583系電車を使用した唯一の定期列車になりました。
その後も、大きな変化はなく、583系唯一の定期列車としての運行が続いていました。
しかし、利用客の減少や車両の老朽化などが進行し、2012年(平成24年)3月17日のダイヤ改正で、定期列車としての運行を終了しました。
それにより、583系電車を使用した定期列車は、すべて姿を消したほか、関西地区発着の定期急行列車、JR西日本管内の定期急行列車は、すべて姿を消しました。



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