惜別・JR三江線
ここでは、惜しまれながらも、2018年3月31日限りで廃止されたJRの三江線の画像を掲載いたします。
起点の江津駅には、三次方面への路線の存在を知らせる案内表示板がありました。
2016年3月23日
改札口の発車時刻案内表示器が、三江線の存在を知らせていました。
2016年3月23日
三江線の存在を知らせるポスターが貼られていました。
2016年3月23日
駅名標が分岐駅であることを知らせていました。
2016年3月23日
江津行きの普通列車が到着しました。
2016年3月23日
折り返し、三次行きの列車になりました。
2016年3月23日
開業の古い区間は、線路敷地に草がたくさん生えていました。
2016年3月23日
中間駅の一つである、川戸駅は、既に交換設備が撤去されていました。
2016年3月23日
草の生えた線路が続いていました。
2016年3月23日
石見簗瀬駅は、中間駅の一つです。
2016年3月23日
中間駅の一つである、宇都井駅は、「天空の駅」とも呼ばれていました。
2016年3月23日
口羽駅の名所案内表示板です。
2016年3月23日
ワンマン運転のため、車内に運賃表示がされていました。
2016年3月23日
中間駅の一つである、口羽駅は、かつては、三江南線の終着駅でした。
2016年3月23日
行き違いのため、長い時間停車していました。
2016年3月23日
対向列車が入線してきました。
2016年3月23日
浜原行きの列車が停車しました。
2016年3月23日
終点の三次駅に到着しました。
2016年3月23日
駅名標が、路線の存在を知らせていました。
2016年3月23日
運行されていた列車の本数はわずかでした。
2016年3月23日
三次駅の改札口の発車案内表示器が、三江線の存在を知らせていました。
2016年3月24日
ホームの案内表示器が、三江線の列車の存在を知らせていました。
2016年3月24日
石見神楽の演目名が、駅の愛称名になっていました。
2016年3月24日
列車の本数の少なさが感じられますね。
2016年3月24日
三次行きの列車が到着しました。
2016年3月24日
折り返し、石見川本行きの列車になりました。
2016年3月24日
狭い道路と並走しながら、草の生えた線路を走っていきました。
2016年3月24日
江の川に沿って走っていました。
2016年3月24日
1975年に開業した区間はトンネルが多く、また、枕木はPC枕木でした。
2016年3月24日
まもなく、宇都井駅です。
2016年3月24日
宇都井駅の停車時間はわずかでした。
2016年3月24日
石見川本駅に到着しました。
2016年3月24日
列車番号を変えて、江津行きの列車になりました。
2016年3月24日
石見川本駅は、中間駅の一つでした。
2016年3月24日
石見川本駅には、「八幡」の愛称がつけられていました。
2016年3月24日
石見川本駅の駅舎です。
2016年3月24日
三江線の中間駅の中では、比較的大きな駅でした。
2016年3月24日
窓口、改札口とも、無人です。
2016年3月24日
列車の本数はわずかでした。
2016年3月24日
江津行きの表示を出した列車が、長時間止まっていました。
2016年3月24日
石見川本駅の構内には、保線用車両の車庫などもありました。
2016年3月24日
ホームには人の気配のない時間が長く続いていました。
2016年3月24日
草の生えた線路をゆっくりと進んでいきました。
2016年3月24日
石見川越駅は、中間駅の一つです。
2016年3月24日
江津駅に到着しました。
2016年3月24日
折り返し、三次行きの列車になりました。
2016年3月24日
夏の山間を、単行運転の気動車が走っていきました。
2016年7月6日
中間駅の一つ、粟屋駅。もちろん、無人駅です。
2016年7月6日
ホーム一本だけの小さな駅でした。
2016年7月6日
山と江の川に挟まれた長谷駅は、一部の列車しか止まりませんでした。
2016年7月6日
ホームの背後は、狭い道路を隔てて、江の川が流れていました。
2016年7月6日
船佐駅の待合室です。
2016年7月6日
「悪狐伝」の愛称がついていました。
2016年7月6日
船佐駅の駅名標です。
2016年7月6日
所木駅の駅名標です。
2016年7月6日
所木駅には、「玉藻の前」の愛称がついていました。
2016年7月6日
信木駅も、江の川のそばにありました。
2016年7月6日
信木駅の駅名標です。
2016年7月6日
江の川の鉄橋を、単行運転の列車が渡っていきました。
2016年7月6日
三江線の中間駅の一つである、式敷駅の待合室です。
2016年7月6日
三江線では数少ない列車交換が可能な駅でした。
2016年7月6日
式敷駅の駅名標です。
2016年7月6日
式敷駅の待合室内には、三江線存続の要望のメッセージが掲示されていました。
2016年7月6日
香淀駅の待合室です。
2016年7月6日
香淀駅のホーム側では、等身大人形が、三江線利用客を歓迎していました。
2016年7月6日
香淀駅の駅名標です。
2016年7月6日
有名な中間駅、宇都井駅の入口です。
2016年7月6日
ホームまで、長い階段を上る必要がありました。
2016年7月6日
階段の途中の壁に貼られていました。
2016年7月6日
宇都井駅の時刻表です。
2016年7月6日
1面1線の高架駅でした。
2016年7月6日
宇都井駅には、「塵倫」の愛称がついていました。
2016年7月6日
宇都井駅は、遠くからでも目立ちますね。
2016年7月6日
三江線の鉄橋の中の一つです。
2016年7月6日
伊賀和志駅も、1面1線の小さな駅でした。
2016年7月6日
伊賀和志駅の駅名標です。
2016年7月6日
伊賀和志駅には、「鈴合わせ」の愛称がついていました。
2016年7月6日
単行運転の気動車がゆっくりと走っていきました。まもなく、香淀駅です。
2016年7月6日
夏の江の川沿いを、単行運転の気動車が走っていきました。
2016年7月6日
尾関山駅の待合室です。
2016年7月6日
「紅葉狩」の愛称がついていました。
2016年7月6日
尾関山駅の駅名標です。
2016年7月6日
2両編成に増結されていた三次行きの列車です。
2017年6月14日
後ろ側の車両は、石見神楽のラッピング車でした。
2017年6月14日
石見神楽のラッピング車を先頭にした列車が、ゆっくりと走っていきました。
2017年6月14日
作木口駅の駅名標です。
2017年6月14日
作木口駅には、「胴の口」の愛称がついていました。
2017年6月14日
江平駅も、三江線では多数派の1面1線の無人駅です。
2017年6月14日
江平駅の駅名標です。
2017年6月14日
江平駅には、「五竜王」の愛称がついていました。
2017年6月14日
口羽行きの列車が、江の川の鉄橋を渡っていきました。
2017年6月14日
江の川に沿って、ゆっくりと進んでいきました。
2017年6月14日
まもなく、トンネルです。
2017年6月14日
三次行きの列車が、江の川に沿って走りました。
2017年6月14日
撮影機材・ソニーα33
三江線は、1930年(昭和5年)4月20日に、石見江津駅(現在は江津駅)~川戸駅間が、部分開業しました。
それが、三江線の最初に開業した区間です。
その後、1931年(昭和6年)5月20日、川戸駅~石見川越駅間が、延伸開業しました。
1934年(昭和9年)11月8日には、石見川越駅~石見川本駅間が、延伸開業し、さらに、その後の1935年(昭和10年)12月2日に、石見川本駅~石見簗瀬間が
延伸開業しました。
その後も、1937年(昭和12年)10月20日、石見簗瀬駅~浜原駅間が延伸開業しました。
しかし、浜原から先の延伸工事は、長らく中断しました。
1955年(昭和30年)3月31日、後に三江線の一部となる三江南線・三次駅~式敷駅間が開業しました。
同時に、三江線・石見江津駅~浜原駅間は、三江北線に改称されました。
こうして、三江線のもととなった2本の盲腸線が誕生しました。
1963年(昭和38年)6月30日には、三江南線の式敷駅~口羽駅間が延伸開業しました。
そして、1975年(昭和50年)8月31日、浜原駅~口羽駅間が延伸開業し、三江北線、三江南線を編入したうえ、路線名は三江線になりました。
しかし、全通当初は、口羽駅構内で、線路がつながってなく、数年間は、全線直通運転ができませんでした。
1978年(昭和53年)3月30日、全線直通運転が開始されました。
しかし、全通時には、既にモータリゼーションの影響を受けて、ローカル線の利用者が少なくなっていたため、三江線も利用状況がよろしくない状況が続いていました。
その後は、度々、廃線が検討されてきましたが、代替道路未整備を理由に、廃止対象路線から外されていました。
1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化後も、JR西日本の路線として承継され、長らく存続していました。
しかし、沿線の過疎化や、利用者数の減少などを理由に、廃止が検討され、沿線自治体なども、第3セクターなどの鉄道存続の案は、財政負担が重くなるという理由で、三江線の廃止を受け入れました。
そして、JR西日本は、2018年(平成30年)4月1日を廃止日とする廃止届を提出しました。
2018年(平成30年)3月31日、三江線は、最後の営業運転を終え、全線廃止となりました。
全長100km以上の鉄道路線が全線廃止となる事例は、本州では初めてです。
こうして、三江線は、部分開業から約88年、全線開業から約43年の歴史に幕を下ろしました。
1つ前へ戻る
TOPへ戻る