惜別井笠鉄道バス



ここでは、2012年10月31日限りで、姿を消した井笠鉄道のバスの画像を掲載します。




鴨方駅北側のバス乗り場に井笠鉄道のバスが停車していました。
撮影年月日:2006年10月14日
撮影機材:ミノルタα707-si





笠岡駅前に、井笠鉄道のバスが停車していました。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





笠岡駅前は、井笠鉄道バスの主要なターミナルの一つでした。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





笠岡駅前に、矢掛行きのバスが入ってきました。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





神島方面へ行くバスも運行されていました。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





笠岡駅前のバス路線図と乗り場案内です。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





笠岡駅前のバス停標識です。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





いすゞ・キュービックバスも使われていました。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





ジーンズの広告のついたバスも走っていました。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





ジーンズのバスの後姿です。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





井原バスセンターにバスが入ってきました。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





井原バスセンターに井笠鉄道のバスが停車していました。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





井笠鉄道のバスが並んでいました。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





井原バスセンターは、方面別に乗り場が分かれていました。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





福山駅行きのバスが止まっていました。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





ジーンズバスです。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





ジーンズバスの左側面です。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





一般路線バスとコミュニティバスの車両がいました。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





井原バスセンターの全景です。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





井笠鉄道では、標準的な形態のバス停標識です。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





井原バスセンター行きのバスが、井原駅前に入ってきました。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





福山駅前にも、井笠鉄道のバスが待機していました。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





「ばら祭」をPRする車両もいました。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





これも「ばら祭」のPR車両です。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33





神辺の町を、井原行きのバスが走っていました。
撮影年月日:2012年10月22日
撮影機材:ソニーα33







岡山県西部から広島県福山市にかけて路線バスを運行していた井笠鉄道は、1911年(明治44年)7月1日、軽便鉄道会社である井原笠岡軽便鉄道として設立されました。
軽便鉄道事業の最盛期には、本線、神辺線、矢掛線の3本の鉄道路線を運営していましたが、1971年4月1日、鉄道事業から撤退し、それ以降は、会社自体は、社名を「井笠鉄道株式会社」のまま、バス専業の会社として存続しました。
しかし、過疎化や少子化、マイカーの普及などで、利用者が減少し、それによる経営悪化を理由に、2012年(平成24年)10月31日限りで、バス事業からも撤退し、会社は清算されることになりました。
こうして、井笠鉄道のバスは運行を終了しました。
なお、井笠鉄道が最後まで運行していた路線のうち、約4分の1の系統は残念ながら廃止となりましたが、残りの約4分の3の系統の路線は、中国バスなどが引き継いで運行しています。ただし、2013年(平成25年)3月31日までの予定なので、それ以降については、2012年11月現在の時点では未定です。
4月1日以降も運行が継続されることを願ってやみません。



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