惜別ブルートレイン日本海
ここでは、2012年3月17日のダイヤ改正で、惜しまれつつも、姿を消したブルートレイン「日本海」の画像などを掲載いたします。
秋晴れのある日、「日本海2号」は、淀川の鉄橋を渡りました。まもなく、終点の大阪です。
2006年10月17日撮影 東海道本線・新大阪〜大阪
撮影機材:ミノルタα707-si
1往復のみの運転となった「日本海」が、大阪目指して走ってきました。
2009年8月24日撮影 東海道本線・岸辺駅付近
撮影機材:ミノルタα707-si
2009年8月24日撮影 東海道本線・岸辺駅付近
撮影機材:ミノルタα707-si
大阪駅で営業運転を終えた「日本海」は、塚本を経由して、車両基地へ向かっていました。
2009年8月31日撮影 東海道本線・塚本駅付近
撮影機材:ミノルタα707-si
定期列車としての運転日も残りわずかとなった冬のある日も、ローズピンクの機関車に牽かれて淀川の鉄橋を渡りました。
2012年2月8日撮影 東海道本線・新大阪〜大阪
撮影機材:ソニーα33
寝台特急「日本海」は、1968年(昭和43年)10月のダイヤ改正で、大阪〜青森で、運転が開始されました。
当時は、湖西線が未開業だったため、米原経由で運転されていました。
運行開始当初は、客車は、20系が使用されていました。
1975年(昭和50年)3月のダイヤ改正で、使用された客車が20系から14系に変更され、湖西線経由に変更されました。
また、14系座席車を使用した季節列車の運転も開始され、「日本海」は、定期列車と季節列車を合わせて2往復の体制となりました。
1976年(昭和51年)には、座席車で運転されていた季節列車の「日本海」の使用車両が、24系25形客車に変更され、座席列車から寝台列車へ変わりました。
1978年(昭和53年)10月には、季節運転の「日本海」も定期列車に格上げされ、従来から定期運転されていた「日本海」の使用車両が、14系から24系へ置き換わり、14系客車による運転が終了しました。
1987年(昭和62年)のJR発足後は、2往復運転されていた「日本海」のうち、1号と4号がJR西日本、2号と3号がJR東日本の客車で運行されるようになりました。
また、その前後から、「日本海1号・4号」は、夏季に限り、ツーリングライダー専用車両「日本海モトとレール」の併結が行われるようになりました。
1988年(昭和63年)には、青函トンネル開業に伴い、2往復のうち、JR西日本受け持ちの1号と4号の運転区間が、函館まで延長されました。
それから、何年も大きく変わることなく、その体制が続いていました。
1998年(平成10年)の夏季の運転を最後に、1号と4号に併結されていた「日本海モトとレール」の運行が終了しました。
同年の12月には、1号と4号で、寝台特急「瀬戸」の電車化で余剰となったA寝台車の連結が開始されました。
それから何年も大きな動きはありませんでしたが、2006年(平成18年)3月のダイヤ改正で、函館まで運転されていた1号と4号の運転区間が、2号・3号と同じ大阪〜青森に短縮されました。それにより、「日本海」の北海道乗り入れは終了しました。
さらに、2008年(平成20年)3月のダイヤ改正では、2号と3号の運転が廃止されました。それ以降は、スジは、JR西日本の車両で運転されていた1号と4号のものが残りましたが、JR西日本の客車による運転は終了し、JR東日本の客車での運転が存続することになりました。
それからしばらくは、1往復のみの体制で、運転が続いていましたが、利用客の減少や車両の老朽化などを理由に、2012年(平成24年)3月17日のダイヤ改正で、44年近く続いた定期列車としての運転を終了し、それ以降は、繁忙期のみの臨時列車としてのみ残ることになりました。
それにより、関西地区発着のブルートレインの定期列車は、すべて運転を終了しました。
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