惜別ブルートレイン出雲



ここでは、2006年3月18日のダイヤ改正で、惜しまれつつも、姿を消したブルートレイン「出雲」の画像などを掲載いたします。


海の香りを受けて
山陰本線沿いでは、日本海のそばを走る区間がありました。
撮影当日は、まあまあの晴天でしたが、空の色が飛んだのが残念です。
2005年10月24日撮影 山陰本線、居組〜東浜




池のほとりで朝日を浴びて
鳥取県内にある水尻池のほとりを、朝の太陽の日差しを浴びながら走っていました。
2005年11月2日撮影 山陰本線、末恒〜宝木




田園と風車
風車のある丘を背後に、田園の中を走るところがありました。
2006年2月24日撮影 山陰本線、下北条〜由良




雪景色の中
撮影前日の雪で真っ白になった田園の築堤の上を走っていました。
撮影に絶好の場所だったので、カメラを構えた多数のファンが集まっていました。
当日、同じ場所に居られた方、いましたら、お知らせください。
2006年3月15日撮影 山陰本線 泊〜松崎



ここにある画像は、すべて銀塩カメラ(機種は、ミノルタα707-si)で撮影して、CDフォト化したものです。


ブルートレイン「出雲」は、1972年、急行の格上げにより、寝台特急としてデビューしました。
当初は、ブルートレインのパイオニア20系客車で運行されていましたが、後に24系25形に置き換わりました。
1978年には、14系で運行されていた寝台特急「いなば」を運転区間延長の上、「出雲」に編入し、「出雲」は、2往復体制となりました。
国鉄がJR化されるころ、JR東日本受け持ちとなった24系25形使用列車は、車両のグレードアップが図られ、A寝台車を除く客車が銀帯から金帯に変更されるといった動きがありました。
JR西日本受け持ちの14系使用列車も、後に、いったん消えた3段寝台車の復活や、A寝台車や一部のB寝台車の個室化といった動きがありました。
しかし、1991年、24系25形使用列車の食堂車の営業を休止しました。
それからもしばらく、「出雲」は、2往復体制を維持していましたが、1998年、JR西日本受け持ちの14系使用列車が、運行ルート変更の上、285系電車に置き換えられ、同時に、愛称名は、「サンライズ出雲」に変更されました。
JR東日本受け持ちの24系25形使用列車は、運転区間を東京〜出雲市に短縮の上、しばらくは、「出雲」として残ることになりました。
しかし、航空機や高速バスなどに、どんどん客を奪われ、利用客の減少が続いたうえ、車両の老朽化も進み、2006年3月18日のダイヤ改正で、ついに廃止されてしまいました。
これから山陰本線の列車の運行の安定性確保のために、餘部鉄橋の架け替えが行われるといっただけに、まことに残念です。
私は、一度も乗ることがありませんでしたが、34年間、山陰本線の看板列車として活躍してきた「出雲」号には、心から感謝と労いの意をと申し上げたいです!



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