惜別急行ブルートレイン銀河



ここでは、2008年3月15日のダイヤ改正で、惜しまれつつも、姿を消した寝台急行「銀河」の画像などを掲載いたします。


夏の淀川
下り列車は、夜が明けてから、大阪市内を流れる淀川の鉄橋を渡りました。
まもなく、終点の大阪でした。
2006年7月31日撮影 東海道本線、新大阪〜大阪




秋晴れの淀川
秋の晴れ日の朝、水の都の鉄橋の上を青い車体を連ねて走っていきました。
まもなく、終点です。
2006年10月17日撮影 東海道本線、新大阪〜大阪



ここにある画像は、すべて銀塩カメラ(機種は、ミノルタα707-si)で撮影して、CDフォト化したものです。


寝台急行「銀河」は、1949年、当時の国鉄の急行列車に、初めて愛称名がついたとき、東京〜神戸の急行列車として、運転されました。
東海道新幹線が開業すると、東海道本線の急行列車の統廃合が相次いで行なわれましたが、「銀河」の愛称は、残ることになりました。
「銀河」は、最終新幹線よりも遅く始発駅を出発し、翌朝の始発新幹線よりも早く終点に着くという強みから、根強い人気があり、使用車両の変化がありながらも、JR化後もしばらくは残ることになりました。
国鉄末期までに、他の寝台急行の廃止が相次いだ後は、唯一の全車寝台車の急行列車として、活躍を続けました。
新幹線のスピードアップや高速バスの増便により、利用者数の減少はあったものの、上述のとおり、運行時間帯が非常に良く、首都圏と関西を行き来する旅行者やビジネスマンから、根強い人気がありました。
しかし、新幹線や格安高速バスの台頭や、車両の老朽化には勝てず、2008年3月のダイヤ改正で、59年の歴史に幕を降ろしました。
同時に、東海道本線米原以東からは、急行列車は姿を消してしまいました。
夜行需要も比較的あり、運行時間帯も良かっただけに、その列車の廃止は、誠に残念でなりません。



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